たかすいのプロフィール

たかすぃ

たかすいって?

「たかすぃ」だったけど、打ち込みやすいから「たかすい」にしてます。笑

私は本当に勉強してきませんでした。義務教育・高校・大学・専門学校制覇。



目的も漠然とした状態で20年くらい生きてました。
目標もぼんやり、目的もぼんやり。なんとなく生きてた。




だからこそ、浪人・留年はしてません。
そのため、浪人・留年の考えとかは書けません。






ぼんやり生きてたおかげで、
社会に出てから勉強の大切さ思考の大切さを学んだたかすいです。




これから、プロフィールということで、
ざっくり自己紹介交えブログ開設までの流れを書いていきます。

小・中学校→高校へ

たかすいの小学校・中学校はエスカレーター式で、
基本同じ小学校からみんな同じ中学校に行く感じでした。


みんな顔見知り。知らない人はいない。



だから、話す人・自分の居場所にはあんまり困らなかったです。


ずっとお菓子屋さんにいて、公園で遊んでって暮らしでした。
友達おうちでゲームしたり。


ろくに勉強もせず…。


これが問題でした。今後の人生を生きにくくする最大のポイント。
小・中学校での勉強は思考構築の練習とも私は思ってます。

その思考構築の練習をしてこなかった今後の人生はハードモードでした。







中学校の頃ぶっ飛ばされた話

小学生・中学生、怖いものを知りません。
いまでは、不良は怖いです。


それは、
中学生のころ、友達との下校中、
中学の不良な先輩方が小学校の校庭で遊んでいるのを見つけました。
バスケットをしてました。


中学たかすいは、
それを遠目に見て、小学校の校庭で中学生が遊んでる光景をみて、
何を思ったのか「小学生かよ聞こえないくらいの声で発しました。




聞こえてました。




中学の先輩方が原動機付自転車に2・3人乗りをして、
3台くらいで追ってきました



逃げました。



余裕で追いつかれました。人目に付きにくい砂利道でつかまりました。
ぶっ飛ばされました。

確実に自分が悪いので、めっちゃ謝りました。

ちょっと許されました。



解放されました。
失禁はせずに済みました。



このことから、

相手を不快にさせる可能性のある言動を発する時には、
責任を持たなければならないことを学びました。


それと、たかすいの心に不良怖いっていうイメージが植え付けられました。


なんとなく高校受験

みんな行くしおれも行くか。そんな感じでした。

本当にダメな思考。目的も何もない。時間もお金も無駄になる可能性大。


気にしません。わかりませんから。何も。



とりあえず、勉強してなかったから勉強できません。
やり方もわからない。


でも受験時期。
どうする?とりえあず受けた。



何校か受けてとりあえず何校か受かりました


名前かけば受かるような学校だったんだと思います。
学校には申し訳ないですが、受かったしそう思っちゃう。


とりあえず受かったし行こうと決意。



私立。親にはとても感謝しています…。

なんとなくで私立に行く子供、その子供に多額のお金を投資する親。
勉強大事です。思考大事です。ほんと。申し訳ないです。







高校入学から大学選びまで

なんとなく高校受験なんとなく受かったから入学。
普通科の高校、一応進学を目指す高校。



新しい環境、新しい空気、初めての自転車通学。


これで僕も高校生。気がひきしまる。
楽しい高校生活だって思ってた。




違った。


中学のころは、当たり前のように顔見知りの集団だった。
だから意識できなかった。知らなった。



高校は、同じ中学から行った人はゼロ人。

みんな知らなない人…。

高校生活:自分は人見知りだった

小中学校のころはみんな顔見知りだったから、話せてた。

だから、自分が人見知りだなんて考えたことなかったです。


高校に入って、気づいた。
自分は人見知りだった。



知らない人の中に自分がひとり。
高校、ゼロからの友達作りスタート。






ハードモードだった。


数週間の間ちょっと話す人はいたけど、
基本的に話せなくて、基本的に一人だった


孤独だった、つらかったなぁって思った。




ただ、
この経験はできてよかったと思います。
辛さが分かったから後々行動を起こす原動力にもなった例だからです。




高校、ゼロから始める友達作り

振り返って、
私が友達を作れたきっかけは、
「話しかける勇気」が出た事だったかなって思います。

ここからゼロから始める友達作りを書いていきます。笑


高校に入学してから
友達がいない、作り方も意識したことがないからわからない状況でした。
そんな状態から始まった高校生活。


話しかけるにしても、
緊張するし、なんて話していいかわかんなくて、
数週間たって、ひとりでいるのが辛かった。


そんな状態が続いて、
緊張より孤独の辛さが勝った瞬間がありました。


「話しかける勇気」が出てきました。
一人でいる人とか、集まっているグループに話しかけたりしました。


話しかけた内容は、
自己紹介とか、どこの小学校中学校からきたのかとか、
まずは自分の情報を出して相手のことを知ろうとすることから
始めてました。

あとは一回話した人に対しては、挨拶を自分からすること、
高校のクラスでグループになるときとか、
自分から話しかけに行くとか、そんなことをしてました。


ちょっとずつ話せるようになってきて、友達もできたんだと思いました。



思った以上に、
話してみると意外とアットホームだったり、
意外と話してくれました。
グループになってても、意外と話してくれる。


一人でいる人同士だと意外とスムーズにコミュニケーションとれる。



「話かける勇気」があって話せると、
相手を知る・自分を知ってもらう機会になる可能性があります。
そこから少しずつ話すきっかけになって、
仲良くなれて、遊ぶようになって、
お友達になれるんだと思います。


立ち止まってたら何もない可能性が大きい。
自分が行動するのが一番環境変えるのには一番早い
だから、自分が変わろうと思った。


やってみなくちゃできないし、わからないし
緊張して嫌だけど、やってみてよかったって思いました。

その時に出来たお友達とは交流は今でもあります。


どこで長く付き合えるお友達が現れるかはわかりません。
だからこそ一回一回の出会いを大事にすることを学びました。

あとは自分から行動するってことをこの時学び、
できるだけ行動していこうと決めました。




高校→進路を考える

なんとなく友達もできて、なんとなく卒業が近づいた。



勉強してなかったけど、
受験したら落ちる、けど大学行きたいなぁって漠然と考えてました。
せっかくだし一人暮らしもしたいなぁとも思ってました。


(今思えばひどい思考です。笑)



とりあえず毎日高校には通ってました。ほぼ皆勤賞。


せっかくだから相談しました。
勉強できなくて受からなそうだから推薦くれ、と。


先生との面談で、大学の推薦もらえるって話になりました。

大学選び:考えてたこと

小さい頃に、初めて親から与えられた
星のカービィっていうゲームがきっかけで、

ゲーム好き、カービィ好きになりました。

親がパソコン好きっていうのもあってパソコンにも興味ありました。



だから、漠然と
ゲームを作ること・プログラミングとかやってみたいと思いました。



だったら、情報系の大学かな?って思って相談してました。



あと一人暮らしなんとなくしたくて県外の学校を選びました。




そしたら先生から、県外で情報系の大学ありました、と。

行くことに決めました。



大学生活、またゼロから友達作り

念願の一人暮らし&大学生活が始まった。

引っ越しとか何もわからなくて親頼りだったけど、
何とか終わって大学生活開始。


わくわくの大学生活。
でも、またゼロからの友達作りスタート。

今回は大学でみんな知らない人同士。
大学だからとっても人数も多くて、
小~高校の授業規模を3倍くらいの授業形式。
学校自体もめっちゃ広いし、講義室もめっちゃ広い、
ほんとにびっくりばっかりでした。


授業は、
基本的大きい講義室みたいなところで授業をするスタイルだったんですが、
そこだとみんな色々な学部だったりするので、なかなか仲良くなれないです。


他に特殊な授業形式があって、
必修の単位項目中に少人数のゼミっていう15人くらいのクラスで、
同じ学部の同じ学年が集められて授業するってものがありました。


その少人数ゼミは、
チャンスだと思った。少人数だし固定メンバーだし、


お友達になるのには一番早いかなと思いました
高校生活の時に学んだこと。
「自分から話しかける勇気」を持って行動しました。


自分から話しかけて自己紹介、相手はどこから来たのか、
何が好きか、少人数ゼミっていう形式が仲良くなるのを後押ししてくれた。


高校の時ずっと話せなかった辛さがバネになって、
大学では初日から話せて、友達を作ることができました




やっぱり自分から行動する事の大事さが
とても生きてくるなぁって思った事柄でした。

大学でイメージと違った情報学部

大学の学部選びは
「情報って響きは、プログラミングとかパソコンやるでしょ」って
決めたものでした。

学部選びはもっと慎重に調べてやるべきことでした。
人生が変わります。

実際に入って、情報学部でも入った学部は
プログラミングはほぼ一切やらず、
情報を発信するテレビとか新聞がどういう意図で
どういう仕組みで情報を扱っているのかっていう、
そんなことを勉強するような学部でした。


メディアとかわかりません。特に興味もわきませんでした。
でも、選んだからには単位とって卒業まで行きつきましたけど。
すごくもったいないことをしたなと感じます。


ここで学んだことは、イメージだけで物事を判断しないで
自分の考えと実際が当たっているのか照らし合わせる事が、
大事なのだと学ぶことができました…。


ただ、学部以外にも選ぶことができたことがあって、
副専攻っていうものがありました。

副専攻とは、
学部で専攻しているもの以外に、自分が気になる他の学部の授業
気になる分野の授業を受けられるってものでした。

それで、ボランティア活動が好きでやってたので
福祉業界が気になり福祉を副専攻に選び勉強しました。

そっちは楽しかったです。
わけわからないことも多かったですが、楽しかったです。


看護師になるきっかけになったのは、一番初めはここからだったのかも
しれないです。



大学卒業後→福祉業界→営業:うつ期

大学4年就職氷河期、とてつもなく決まらない。
そんな時代でした。でもやるしかなかった。
親にお金も出してもらってたし、お金めっちゃ稼ぐしかなかった。

文章を書くことも、面接で話すことも、
勉強してなかったから、記憶の定着の仕方や
思考力がほぼなかったから、難しかった。
本当に苦労しました。


ひとつだけできない中、武器として使えるものを見つけました。
それは、就職活動をするとよく聞く「強み」のことです。
私の考える強みの考え方で面接・文章を書いたことで
内定をもらえるようになりました。
戦えない状態から、ちょっと戦える状態にできたって感じ。


私のブログで前に書いた記事で、
それをなおかつ使いやすい思考にするためにまとめた
強みについての考え方の記事があります。
よかったらどうぞ!

https://takasuiblog.com/shukatu-tuyomi/


で、気になる業界としてピックアップしてたのが、
接客業、福祉業界、プログラマー あたり。

就職活動をしていく中で、プログラマーはやりたいことではないと感じました。
実際にちょっとプログラミングをやろうとしたときに、
仕事としてこれを永遠とやり続けるのは難しいって
私は思ってしまったためです。
今ならやってみてから考えよう。やってみようってなるんですが、
当時の思考消極的で、無理そうってすぐ引いてしまっていたので…。



で、就職活動をしてて何か所か内定をもらいました。

そのうちの1つ福祉施設のリーダー募集の内定。
面白そう、って思って飛び込みました。


ばいばい大学!


福祉施設でのジレンマ

これまた遠くの県外の福祉施設でお仕事が始まりました。

場所は、
ショートステイっていう、おじいちゃんおばあちゃんを一時的に預かるよって施設。
特別養護老人ホームっていう、寝たきりの人が多い重度な人が多い施設で働きました。


仕事内容は介護士。
ヘルパーや介護福祉士の資格なんて勉強したこともなければ知識もない
大学でやっていた授業も実際に働くうえで役に立つような知識なんて
ほぼ全くなかったです。実技も本当に皆無。

将来的には、新施設のリーダーになるから、
とりあえず頑張ろうと意気込んでました。

でも、
勉強してこなかったおかげで、仕事覚えるのは遅いし、
うまく物事もまとめられないし、伝えられない。


なんとか仕事をやっていくうちに段々慣れてきて
楽しいって思えることも増えてきました。

でも、
ジレンマを感じることもありました。



施設で働いてると夜勤もあります。人が少ないです。
何十人って利用者を2人とか3人で見ます。

急に状態が悪くなる人もいました。
急に血を吐いて苦しそうにしてたり、
急に呼吸苦しそうにしてたり、
見つけたら看護師に報告するだけ、
何もできないで見てるだけでした。


何かしてあげたいけど何もできない。

このジレンマが看護師になろうって
後々考えが至った大きなきっかけですね。



この福祉会社は地元からめっちゃ遠かったんです。

仕事も人もめっちゃよかったんですけど、
ちょっと地元の方で色々あって急遽地元に戻る事になりました。




訪問入浴→カラオケ営業へ

次は地元でゼロから就職活動。
大学から奨学金を借りてて
返済もあるので、とりあえずすぐ働きたかったんです。

だから、
バイトを始めました。
福祉業界は楽しかったし、またやろうと思って調べてました。
興味をひかれたのが、
訪問入浴っていうお仕事。


どうやら、在宅でお風呂に入れない方を
お風呂に入れるお仕事らしい。


やってみるか!と、応募・合格。
すぐ働き始まりました。


1日のお仕事全員で3人セットで回ります。
運転手兼ヘルパー、ヘルパー、看護師。

私は運転手をして、家についたら組み立て式のお風呂を設置。
お湯を入れて、体を洗ったり、お湯に浸かっていただく。
それをすべて分担して3人でやる感じ。


楽しかったですね。ただ、相変わらず仕事も覚え悪いし、
道も覚え悪かったです。


バイトしながら就職活動はしていました。
接客業と福祉業界。


決まったのはカラオケの営業職でした。

応募したきっかけは、年末年始土日祝日休み・カラオケが好き
ってことくらいでなんとなく応募しました。


受かったのでバイトはやめることにしました。
優しい人たちばかりで、お別れの時にクマさんの人形が刺さった花をくれました。
本当に感謝です。ありがとうございました…。

飛び込み営業→うつ期

カラオケの営業、飛び込み営業。夜の部でした。
居酒屋・バー・スナック・キャバクラ・割烹屋・定食屋・個人
など

地域だけ分けられて、飛び込みで新規開拓をしていくというものでした。

営業前にドアをたたいて入ると
怖そうなオーナーさんとか店長さんが怒るし、
たまに話聞いてくれる人もいるけど、
飛び込みってすげー大変だなって思いました。

営業中にドアをたたいて入ると
「てめぇ見てわかんねぇのかよ。営業中なんだよ」
って超怖いって思いました。
みんな酔っぱらってるし、いろんな人いるし
絡まれるし、怖いし、散々でした。

たまに叩いちゃいけないお店のドア叩いちゃって、
すごい格好した人出てくるし、明かりもピンクだし
とにかくなんでもやってみる精神は付きました…。

でも、契約取らないといけないから何件も回って
どんなスタイルならとりあえずお店に入れるかって考えて
色々試しました。

暗くそろっと入るのがだめなら、めっちゃ元気に入って
すげー元気に積極的に話しかけてみるとか
タンバリン鳴らしながら入るとか、
歌えって言われたらお客さんの層みて何か歌ったり、
行動力は培われました。


どんなに行動しても契約とらないとずっと言われ続けるノルマ。
ノルマうちはないって言われててもあります。ノルマ。
結果がすべてだから。経過なんていいから早く結果って言われるし、
体育会系な上司の詰め方も精神的にきついものがありました。


営業業務と、もう一つ大変だったのは
元々うちのカラオケを置いてくれているお店の管理
これも担当地域ごとに分かれてます。


仕事終わっても自分の地域のお店から電話来る。
カラオケつかない、マイク音でない、スピーカー破けた、デンモク使えないなど。電話で対応しきれないときは行くしかないし、壮絶でした。
休みが休みじゃなくなる日もあるし、大変だなって思います。





こんな生活を数年続けました。心が壊れていきました。
営業でニコニコ、頭をぺこぺこ。頭で考えるのは契約のこと、
どうやって契約を取るか、新しいお店はどこにできるか、
どうやって契約までいきつくかの道筋を考える。

営業だから、へりくだっちゃって
ずーっと自分の言いたいことも言えない。
でもニコニコ合わせる。相手の表情めっちゃ見る。空気読む。



元々の自分がわかんなくなっちゃいました。
自分ってどういう人だか、何を話してたのか、
どういう人間だったのかわからなくなっちゃいました。
人と話すのも疲れて、どんなに仲いい人でも話せない、
表情見て気を使っちゃって何話していいのかもわからない



わかってるようで全然自分の事わかってなかったんです。
会話もなんとなくでしてきてた。何を意識するわけでもなく、
なんとなく楽しくコミュニケーションしてた。
それが営業をやったことで、崩壊した
今までやってこなかった論理的に話して、
相手を自分の思惑に落とし込む。
だから壊れちゃったんです。

もっと論理的思考ができていれば
もっと変わった思考で営業ができたのかもしれません。


この時は誰とも話したくなくて、自分がわからなくて、
でも1人でいると本当に話せなくなりそうで、
無理やり友達と会ったりしてました。
連絡のやり取りもなんて返していいかわからなくなるくらい
思考が壊れてました。


今まで意識しないで出来た会話・連絡に、全部違和感を覚える感じ。
何をしてもすっきりしない感じでした。


でも仕事は続けてるから、余計その思考の壊れは悪化していく感じ。
愛想振りまいて、表情見て合わせてニコニコして、営業して、
頭ペコペコして、八方美人でした。
何を今まで考えて生きてたのか、何に重きを置いて生きてきたのか
人生の軸もなにもかも全くわからなくなったんです。


また人と楽しくお話したり、
のびのび楽しいって思える人生を送りたいって思うようになりました。




営業うつ期→人生振り返り期:看護師になりたい

営業をやっていて、愛想振りまいて表情見て合わせてニコニコして、営業して頭ペコペコして、うつ期に突入しました。


どんなに仲良くてもどんな人に対しても、
何話していいかわからない、無意識に気を使っちゃう、
だから会いたくないし話したくないって時期がありました。


こんな人生いやだ。楽しい人生がいいって思うようになりました。
でもどうしたらいいかわからなかったです。


そこで、私は本を読みました。
本を読んで、学びました。
どうすればいいのかわからない中、少しずつでもわからなくなった自分に近づくにはどうすればいいのか。

営業の経験を得てまっさらになってしまった、
私の精神状態・思考力をそれなりの状態まで持っていった私の考え方は
これです。

この考え方で、自分がわからない状態から持ち直しました。

https://takasuiblog.com/jibun-wakaranai/




そんな本を読む生活を続けていて、ふと思いました。
人生は一回きりやりたいって思うことをやりたい。
今まで何も一生懸命努力してこなかったから、一生懸命生きたい。



今までの人生を振り返って、
じゃあやりたいことってなに?って自分に問いかけたときに、
特になくて、じゃあなんの仕事をしたいの?って問いかけました。

更に振り返って、
福祉業界は楽しいと感じていたこと、福祉施設で感じていたジレンマがあった事。ならまた福祉業界に行こう、でも介護士ではなく看護師の方がジレンマも少なく業界に携われるのではないかって思ったのが、看護学校に行こうと思った理由ですね。


ここの振り返り期は自分の人生のターニングポイントだと感じてます。







看護専門学校を目指すが勉強ができない

看護師になりたい!って思いました。

じゃあ看護学校行かなきゃ、って考えました。
思考の学びは深めてたけど、実践的な勉強のやり方は学生時代まともにやってこなかったので、よくわかりませんでした。
だから、こうすれば覚えられるっていうのがわからなくて、覚えられる方法っていうのもずーっと同じ文字を書き続けるってもので、明らかに効率が悪かったんです。

これじゃ受からないだろうから、
勉強のやり方を勉強しながら勉強しなくちゃいけないって考えに至りました。


苦労しました。ほんと。
受験して落ちて、受験して落ちて、バイト始めて勉強して、
やーーーーーっと受験して受かりました。


詳細はあとで書きますね。合格までにやっていた事・方法とか。

看護学校入学へ

念願の看護学校入学
入学できた看護学校は、正看護の専門学校で3年で卒業できるところ。

ここからスタート地点。

私のクラスの構成は、
私の学年は43人でした。そのうち男子が7人。
クラス全体社会人は6人くらい。そのうち男で社会人経験者は私だけ。


やっぱり学校生活は楽しいです。


勉強して、実習して、国家試験の勉強して、
正看護師と准看護士の資格どちらもとれました。


どの時期に何をしていたか・学校生活・勉強の方法とかの詳細もあとで書きますね。






卒業、正看護師へ

看護学校では便利な奨学金制度があります。
わかりやすくいうと、
「お金あげるから卒業したらうちの病院きてね!働いてくれれば返さないでいいから!」っていう病院からお金をくれる奨学金制度です。

私も学費を払うため奨学金を貰っていた一人です。
だから、行く病院は決まっていて、そこへ就職となりました。


私の病院は、病棟ごとに科が分けられていない病院です。
どこも混合病棟で、高齢な方が多く、心不全・肺炎・腎不全あたりは多いかなっておもいます。分類するなら大体慢性期~終末期病院かと思います。

そんな病院の急性期よりの一般病棟に1年目で勉強して、2年目は地域包括ケア病棟になりました。


だんだん仕事の流れにも慣れてきたので、どんどん勉強して知識をつけていく時期にもなってきました。

そんな中、学校を卒業して他の病院で働く仲間たちと話す機会がありました。給料・ボーナス・夜勤、ちょっとだけ話す機会がありました。
ちょっと色々と悲しくなったのは覚えています。

やっぱりいろんな病院があるんだなぁ…って。


将来のことを不安視

このままじゃ生活が苦しくなる将来があるだろうなって、
ふと思うタイミングがありました。

●友達と話をしてて給料とかお金の話を話して、お金のことを意識するようになったのがまず1つのきっかけ。
●テレビでたまたま年金の話をしていた番組がやっていたことも、1つのきっかけ。

友達から色々な話を聞いてて、でも今は、学生時代に病院から奨学金もらってたし今の病院でも勉強できる事あるし給料とかそういうところだけで病院は選ばないってのはわかります。お金がすべてじゃないです。
お金があったほうが生活の質は上がると思うし、あるに越したことない。
だからこそ、今の収入だけの現状に不安を感じました。



何か始めたいと思い、
1つ、投資信託での資産運用をしてみたいと思った。
2つ、自分に足りてないものを充足させたいと思った。

1つ目の資産運用については全くの初心者で何の知識もなく回りでやってる人もいないような状況です。でもこれなら、まだ知識が薄い人でもお金でお金を生むことができると感じたから着目しました。

2つ目の自分に足りてないものを充足についてはブログをはじめようと思ったきっかけです。まだまだ足りない記憶の整理能力。私は情報の整理ができていないことが多く、短く伝わりやすく伝えることができていないです。だから、文章を考えて書くことで思考がまとまり記憶を整理する能力がつくのではないかって思ったからブログ始めようって思いました。
媒体もなぜブログなのかというと、友達が最近ブログを始めてブログに誘われたっていうのも大きくありますね。何か始めたいっていう私の思いとも合致して、じゃあブログやろうって思いました。


ブログ開始

自分磨きも兼ねて始まったブログです。
思考の整理がより自分自身ができるようになればと思ってます。

書いていく内容としては、
困ってたこと、悩んでたこと、解決したこと、やってみてどうだったかをまとめていきます。
まとめてブログで公開することで、その情報が自分だけでなく、

誰かの役にも立てばいいなと思いながらブログを書いていきます。


 もちろんブログの知識もなにもかも全部経験なし

サイト(HTML.CSS)経験 
文章を書いていた経験 
中学・高校・大学ちゃんと勉強した経験 
SNS発信ほぼ経験 
ブログの知識 

だから、そんなブログ運営にあたりたかすいよかったと思えること
書いていきたいと思います。


人生一回、とにかく決めたことなのでやってみます。

よろしくお願いします!


PVアクセスランキング にほんブログ村

SNSとか登録したものまとめたサイトも作っています。
たかすいのペライチサイト

はてなブログもやっています。自由に好きなことを書いていきます!笑
たかすいのはてなブログ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

スポンサーリンク




たかすぃ
社会人から看護師
社会人から看護師になりました!
現在、看護師の転職活動ちゅう!!!!

経過を記事にしていきます!!

コメント一覧 (1件)

コメントする